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瀧野川女子学園中学校

【前編】「東京都教育功労者」表彰の宮川教頭インタビュー!

ごきげんよう。

今日は令和3年10月1日に「東京都教育功労者」として表彰された教頭・宮川先生(保健体育)に喜びの声と、先生の“母校”でもある本学・瀧野川女子学園への思いなどについて、お話を伺いました!

◆表彰については「とにかく感謝しかありません」

広報:この度はおめでとうございます! まずは一言いただけますでしょうか。

宮川先生:賞をいただけるなんて思っていませんでした。なので、校長先生、副校長先生をはじめとする教職員・学校関係者の皆様、それから、とにかく家族に、感謝の気持ちしかありません。ここまで夢中でやってこられたのは、そういった周りの皆様や諸先輩方のおかげだと、いつも思っていることですが、改めて思いました。こういう賞をいただいて、これまでを振り返った時に「感謝」しか浮かばないということにも喜びを感じています。「誇り」とかそういう気持ちよりも先に「感謝」の気持ちが湧いてきたことは、「謙虚でいる」ことの大切さや「初心を忘れないでいよう」と思っている私にとって、とても嬉しいことでした。

◆やってもいないのに「できない」と言わない

広報:宮川先生は高校時代をこの瀧野川女子学園で過ごされています。入学のきっかけは何だったんでしょうか。

宮川先生:中学は地元の公立校で、運動が好きだったので、部活動、バレーボールばっかりやっていました。高校受験についてなかなか進学先を決めきれずにいた時に、担任の先生が瀧野川女子学園を勧めてくれて。それで普通科・進学コース※に決めました(※当時は普通科の他に商業科もあり、普通科は進学コースと一般コースに分かれていた)。高校卒業後も進学して、何か資格を取りたかったのでね。

広報:瀧野川でもバレーボールは続けられたんでしょうか。

宮川先生:最初は、高校ではやらないつもりでいました。中学校で結構強いチームにいて部活に打ち込んできたので、今でいう “燃え尽き症候群” になってしまって。でも、同じ中学で同じバレー部に所属していた仲間と一緒に、仮入部に行ってみたんです。瀧野川は当時、バレーボールもバスケットボールもとっても強かったんでね。で、仮入部で実技のテストがあったんですけど、そこで選手チーム(一軍)に選ばれてしまったんです。自分としてはあくまで “仮入部” だったんですけど、そのまま “入部” 。上級生に混ざって練習するようになってしまって、抜けられなくなってしまったんです。

広報:なんと。

宮川先生:一度足を踏み入れたのに、ましてや まだ本格的に部活をはじめてもいないのに、「や〜めたっ!」っていうのはできなくて。「一回やってみて、それでダメだったら次を考えればいい」って思いがあったんですね。

広報:試してみないことには、何も始まらない、と。

宮川先生:今も昔もよく聞かれる「勉強と両立できるかわからないから部活はしない」とか、そういうのは違うな、って思っているんです。私自身、小さい時から何事も「一回やってみる」ことを大切にしてきたというのもあるかもしれません。なので、仮入部のつもりだったけど、「あれ? できそうかな?」って思って、高校でもバレーボールを続けることにしたんです。

広報:なるほど。

宮川先生:中学の時までは先生の言うことを聞いていれば大体のことがうまくいきますけど、高校からは違います。そうはいかなくなる。自分で考えて行動する必要が出てきます。なので、ちゃんと自分自身で考えて決めました。「高校でも部活もやってみよう」「バレーボールをしよう」と。だから、さっき言った“燃え尽き症候群”とは違うかもしれませんね。中学までは先生に「ああしなさい」「こうしなさい」って言われてその通りにやったら本当にできて、それで「わぁ! やったー!」「できた!」ってなりますよね。大人の助言を素直に吸収できる子は大概のことができるようになって、それで、やり切った感が出てしまう。

広報:“満足” してしまう、んですかね。

宮川先生:そう、満足してしまう。でも、実はそうじゃない。本当の意味で何かができるようになったり、何かをやりたいって思えるようになるのは高校生からだと、私は思っています。当時もそんな風に考えていたところがあって、「自分で考えて前に進む」姿勢の大切さを瀧野川で学びましたね。高校ではバレーボールはしないと思っていたのに、学校の雰囲気や、部活の先輩たちの練習への取り組み方などを見て、自分もやってみたくなったんです。結果的に、私は “部活っ子” になりました(笑)決して模範生ではなかったです。

◆強くなりたい一心でバレーボールに取り組んできた

広報:部活の雰囲気はどうだったんですか?

宮川先生:本当に練習ばっかりの部活で、休みのたびに合宿もありました。当時はバスケットボール部と合同で行っていたんですが、バスケットボール部は当時、全国大会や国体、インターハイに出場するくらい強かったんです。バレー部は出られなかったので、悔しくて、「なんとか行きたい!」という思いで日々練習していました。

広報:ライバル部、だったんですね。

宮川先生:そうですね、ライバルでした。お互いチームスポーツですしね。バスケットボール部の人たちが本当にすごかったですから、羨ましかったですね。当時は6月に修学旅行があったんですけど、バスケットボール部はインターハイに向けての練習があるから(修学旅行に)行かないんです。バレー部はまだそこまでではなかったので、本当は自分たちも残って(近く予定されている試合のために)練習したかったですけど、それが許されなかった。なので修学旅行にボールを持って行って、旅先で練習していましたね。

広報:強くなりたかった。

宮川先生:そう、強くなりたかったんです。強くなりたい一心で、高校時代は部活に取り組んでいました。

広報:本当に部活漬けの高校生活だったんですね。

宮川先生:そうですね。部活オンリーでした。勉強は、ギリギリのラインで両立していましたね(笑)

広報:ちなみに、先生は何がきっかけでバレーボールを始めたんですか?

宮川先生:当時、バレーボールが流行っていたんですよ。それこそ「アタックナンバー1」とか「サインはV」とか、小学校6年生頃から中学生にかけてすごく流行っていたんです。テレビでやってたんですよ。それがきっかけですね。

◆瀧野川での生活がきっかけで教師を目指し始めた

広報:お母様も教師をされていたとか。

宮川先生:そうですね、小・中・高校の免許を持っていましたね。専門は家庭科の被服でした。最後は東京都の小学校の先生で、ピアノもできて、習字もできて、なんでもできる人でした。

広報:では先生が教師を目指したのも、お母様の影響が強かったんですか?

宮川先生:それはね、実は瀧野川で高校生活をしている中で考え始めたんですよ。

広報:そうなんですか。

宮川先生:当時いらっしゃった先生が、すごく熱心に指導してくださって、教え方が上手だったんです。なんか魅力的に感じたんですね、その先生の、生徒に対する接し方が。それで、私は運動しかできないなとか、人との関わりが好きだな、とか(考えて)。みんなで協力するチームプレーとか、そうやって頑張った気持ちをみんなで分かち合いたいっていう思いも強かったんですね。なので(私も教える立場になって)、生徒たちに同じような気持ち(みんなで何かを成し遂げた時の達成感)を味わってほしいな、手を貸したいなと思うようになったんです。

広報:そうだったんですね。

宮川先生:高校1年生の時に自分が挑戦したこと、バレーボールを続ける決心をしたことも、スポーツフェスティバルとかクラスのみんなで取り組んで「やったー!」ってなったことも、バレーの大会で「勝った!」とか「負けて悔しい」とかね、そういう思いを瀧野川でいっぱい経験してきたんです。それをいつも見守ってくれていたのが “先生” だった。それで「先生っていいな」「喜びも悲しみもみんなで共有できたらいいな」と思ったんです。

広報:なるほど。

宮川先生:だから私は教師になってから、学校行事などは絶対に、生徒たちにやらせっぱなしにはしなかったです。一緒に取り組んできました。楽しんだり、失敗したことも一緒に次に繋げられるようにしてきました。それはさっき言ったように、瀧野川ではいつも先生が一緒になってやってくれたり、そばで見守ってくれていたから。公立の高校に行っていたら、教師は目指さなかったかもしれません。


続きは次回【後編】へ! お楽しみに!

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