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藤嶺学園藤沢中学校

校長ブログ~アンコンシャス・バイアス (unconscious bias)~

10月9日付読売新聞の「18歳成人 成美、成彦のなるほど!」では、「アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)」が取り上げられていました。皆さんはこの言葉を聞いたことがあるでしょうか。近年、新聞やテレビ、大学入試問題などでも目にするようになっています。
 アンコンシャス・バイアスとは、私たちが自覚しないまま抱いている“思い込み”や“決めつけ”のことです。性別や年齢、成績、外見などによって、知らず知らずのうちに人を分類したり、評価したりしてしまいます。
 たとえば――
 「男子だから力仕事が得意だろう」
 「あの人は明るいから悩みなんてなさそう」
 「文化部の人はおとなしい」
 こうした思い込みは悪気がなくても、相手を一つの枠にはめ、その人の本当の姿を見えにくくしてしまいます。さらに、「自分は文系だから理系は無理」などと、自分自身の可能性を狭めることにもつながります。
 この偏見の厄介な点は、本人が気づかないうちに言動に表れてしまうことです。クラスでの態度や発言、グループ分けの判断などに影響し、結果として「なんとなく居心地が悪い」と感じる人を生むこともあります。教師も気をつける必要があり、「この生徒は兄弟も優秀だから安心」「発言が多い子は理解力がある」といった先入観が、生徒の成長機会を奪うことになりかねません。だからこそ、まず大人が自分の内面を見つめ、偏りに気づく姿勢が大切です。
 アンコンシャス・バイアスを完全に消すことは難しいですが、「意識する」ことが第一歩です。
 「なぜそう感じたのか?」
 「それは本当に事実なのか?」
 「違う見方もあるのでは?」
と問い直すことで、思い込みにブレーキをかけられます。また、自分と異なる背景をもつ人との対話を重ねることで、世界の見え方が広がっていくことでしょう。
 藤嶺藤沢は仏教の教えを教育の根底に置いています。仏教では「諸行無常」や「縁起」に示されるように、すべては変化し、互いに関わり合って存在しています。だからこそ、一瞬の姿や一面だけで人を判断することは、真実を見誤ることにつながるのです。
 また、「慈悲」の心、すなわち他者を思いやり、幸せを願う心は、偏見を手放し、相手をあるがままに受け入れる姿勢そのものです。自分の中の偏った見方に気づくことは、“心の修行”であり、“思いやりの実践”でもあります。
「自分の見方がすべてではない」と気づくことが、他者とよりよく関わる第一歩です。思い込みのないまなざしで人と向き合うとき、学校も社会も、きっとあたたかい場所になっていくことでしょう。

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