日本女子大学附属中学校
教員リレーエッセイ【3月】私を励ます言葉を持って…
「ひとり灯のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよのう慰むわざなる」
『徒然草』第13段、兼好法師のように古今東西古典書ではありませんが、なるほど読書は私の心のオアシスです。ベッドの宮棚には読みかけの本が数冊、就寝前と起床後しばしの読書に耽ります。特に寝覚めの悪い朝は本の世界に逃げ込み、回復を試みます。しがらみを忘れて本の世界に生きる時間が私に自由をくれます。たとえそれが現実世界の厳しさを暴いた本であっても、本の世界で考えることは、今日を生きる力を授けてくれるから不思議です。私の一日は、朝晩の読書に励まされ、繋がったものでした。
同じく『徒然草』229段も、私を励ます言葉でした。
「よき細工は、少し鈍き刀を使ふ、といふ。妙観が刀は、いたく立たず」
瞬時に物事を把握し的確に判断、当意即妙舌鋒巧みに応じる知性と才を全く持ち合わせていない私は、事ある毎に己の鈍さを嘆き、心で(鈍き刀で良い細工!)と唱えながら自分を励まし、「私は私らしく彫りこんでいけば良いのだ」と気持ちを立て直したものです。こうして兼好法師の言葉は、長い間「私を励ます言葉」でした。しかししかし、改めてこの言葉を読み返すと、才気あふれる批評の名工兼好がその鋭すぎる批評眼を抑える為に少し鈍い言葉を用いて表わすをよしとするが正しく、小林秀雄氏は物の見えすぎる目を御すために兼好法師が「利き過ぎる腕と鈍い刀の両方の必要を痛感している自分のことを言っているのだ」と評しています。ああ、何たる失策であることか!勝手に鈍に、自分に都合よい誤った解釈をもって、念仏を唱えていた私!
その間抜けさも含めて、しみじみと自分を励ます言葉を持っていることのありがたさを思います。皆さん、どうぞあなたを励ます言葉を大切に学年を締めくくり、次の春へと顔を上げて進んでいきましょう。